【三国志大戦TCG】這い上がろう。負けたことがあるというのが、いつか、大きな財産になる。
早速タイトル長ーよ!という三国志大戦TCGのブログ第2回。大丈夫。本部も長いから 私は書きたいように書く。イヤなら見るな!イヤなら見るな!ωωω 自己紹介的な 自分、大きな大会は必ず群雄で出るようにしてるんですよ。理由?黒いから。黒ってカッコいいじゃん。呂布もカッコいいし しかし1弾の群雄の辛いこと辛いこと。黄巾軸しかなかなか戦えるパワーが無かったのに、黄巾は淵惇に駆逐され、天下無双しようにもドロソは黄巾の乱ぐらいしかなく、当時の自分は大会で2勝2敗ラインで喜んでたものです それでも群雄を使い続け、このゲームをやりこんでいられたのはひとえに「好きだから」ですよ 理由なんてなんだっていい。好きなものがあれば、それがモチベーションに繋がる つまり私からのアドバイスその? 『楽しいことから始めよう』 そこから少しずつ成長して、現時点では全国大会ベスト16、2013東京の宴ベスト8、闘将もゲットしております(現在私はドヤ顔でこの日記を書いておりますw) じゃー最初からセンスあったからそうなれたんじゃないの?という問いに対しては、 2012大阪の宴 0回戦負け→1回戦負け→0回戦負け 負け試合。群対決で李カク→郭シ→郭シ→郭シ決められました。当時はそんな悠長が許された時代ですね 自分のデッキは、トウモ、テイエンシを複数積み、5コスに紀霊を入れた槍群タッチ黄巾。こんなんでもそれなりに強かったんですよ。チョウセンと紀霊で毎ターン1枚ずつアドを稼ぐゲームでした 紀霊が3000しかなくて、油断して呂蒙溜められたら返しに張角配備から槍2体呼んできて4000迎撃不可で呂蒙倒したら、貫通壁火計で戦犯紀霊!とかね ふざけんなー!って楽しく遊んでましたw 2012東京の宴 1回戦負け→3回戦負け→義兄弟ゲット 3弾環境では群雄が大幅に強化されたこともあり、勝率がぐんぐんグルトしていた時代です 負け1回戦目→相手の手札3枚が劉備、武神、槍訓練じゃなかったら返しのターンで勝てる→ジャストミート!(俺の盤面)ファイアー! 負け3回戦目→最速神速惇配備ついでに連撃 ですね。義兄弟は個人2―0、チーム5―1で取りました この頃は馬超ハメが超強く、殴れば1アド。3500に迎撃されたら計略使って勝利し、手札の馬超を使った連撃でさらにもう1枚3500を狩るプレイングが最強でした 多分この辺で間違った理論が構築されてますw と、あまりいい所がありませんでした そしてその後全国。リカクシ1枚とか、今考えてもちょっと頭おかしい気がするデッキ ただし4弾環境では、戦い方を間違えなければ必ず長期戦に持ち込め、そうなれば呂布天下無双から、呂布を倒すために2―1交換か計略を使ってもらい、トップ勝負に持ち込むことが容易で そうなれば高コストをいっぱい積んでるこちらが有利だ!という まあまた変な理論でやってましたw ちなみに負け試合は壁ポロ神速 から15Tぐらい呂布馬超1枚も引かず(両方4積み) と、始めたばかりのころは自分も相当弱かったと思います。いやまあ今でも人様に上手いと言われるほどにはなってませんがw デッキ構築理論が、なんかズレてるんですよね ただ自慢できるのは、今でも負けた試合、なぜ負けたかをしっかり覚えていて、悔しくなれること 勝ち試合より大事なのは負けた試合です。なぜ負けたか、なにをすれば勝てたか。プレミはあったか、相手にブラフはあったか、相手のプレミを突けなかったか というわけで、いんさんの適当なアドバイスシリーズその? 『1試合1試合流れを覚えて、試合が終わったら反省し、同じプレミは二度としないようにすること』 そうすれば自然と上手くなると思います( ^ω^) そしてその? 『他人と違う理論であれば、それは対策が取られにくいと同義。極めれば武器だ!』 2013東京の宴での飛将デッキはまさにそれであったと思います(構築がおかしいなどと言うつもりではなく、独自性の高さから) 意図的に弱く作るのではなく、意図的に強い部分をズラすこと。となりますかね 長くなりましたのでこの辺で(`・ω・)ノ

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